海の向こうからいぬ語り⑫犬をめぐる人々の派閥と和解

by 藤田 りか子 2019.05.17

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自分の好きな犬種に対しては、「こうなってほしい」という情熱や夢が自然に湧いてくるものだ。私はレトリーバーであれば、トレーニング性能が高く、協調性があるという性質が、この犬種としての特徴であるべきだと思っているが、必ずしもすべての愛好家がそれに同意するとは限らない。さて、みなさんは、犬の世界で経験する自分の意見との不一致にどのように対処しているだろうか?




犬という趣味の世界に深入りすればするほど、否応なしに、さまざまな思想の2極対立の存在に、気づくことになる。犬のトレーニング世界に入れば、シーザー・ミラン系のタイプ(犬のボスになる、をモットーとする)VS学習心理で犬を理解しようとするタイプ(主にポジティブ・トレーニング)という対立があるし、犬種の世界に一歩踏み入れれば、ワーキング系VSショードッグ系のファンのいがみ合いに出会う。


もっと大きな目でみれば、犬種賛成派VSアンチ犬種派に、センチメンタルな動物愛護反対派vs絶対動物愛護派という対立もあり、人々の思想のぶつかり合いというのは本当にきりがないものだ。さらにミクロレベルの対決などは(たとえば、同じトレーニング思想を持つグループの中でも、トレーニングの仕方の微妙な違いにより、意見を異にして争っているし、ショードッグの世界であれば、タイプの違いを争っているものだ)、近所や自治会のいがみ合いと同じぐらいの件数で、この世に存在する。ただしこれは犬の世界に限ったことではないのだが!


私が直面している「ミクロ・レベル」の対決について話をしよう。ある犬種クラブで起こっていることだが、「所詮、内輪のもめごとなんでしょう?」なんていわずに、ぜひ聞いていただきたい。これは私が常日頃から強調している「犬種というのは『選択して作る』というはっきりとした意図をもって作られるもの」と関係のあるトピックスでもあるからだ。実際にクラブ内での人々の異なる意見を聞いているだけでも、「犬種を作るとは?」を十分に学ぶことができるから、私はこの対立を結構楽しんでいる。




犬種のブリーディングの落とし穴は、ショードッグとして機能しさえすればいい、というふうに繁殖がすすみやすいこと。しかし、健全性は?気質は?


ご存知の通り、私はなぜか、カーリー・コーテッド・レトリーバー(以下、カーリー)という犬種が好きで、現在、スウェーデンで一緒に暮らしている。さらに、犬種クラブにも属していて、クラブの活動に参加したり、その仲間といっしょに時間を過ごしているうちに、だんだんカーリーという犬種の中で何が起こっているのか、把握できるようになってきた。


犬種クラブ内には、やっぱり対決が存在していた。それは、「今後、何を元にしてカーリーという犬種を作って行くべきか」という犬種の在続に関わる大きな課題でもあった。クラブ内のある人々の間では、カーリーのレトリーバー犬としての作業素質の低下に嘆いていた。中には、クラブを脱退して、カーリーという犬種のブリーダーをやめてしまった人もいる。それほどこの犬種にがっかりした、というわけだ。また、ある人々は、カーリーの見かけをさらに改良しようという面に重きを置き、素質の面では「家庭犬として機能するぐらいの犬であればいいではないか。カーリーはもともとフィールドタイプのラブとは同じレトリーバーじゃない、もっとオールラウンドな多目的狩猟犬だったのだから」と意見をする人々もいた。


私は、そう、紛れもなく前者の意見をする派閥に属するひとりだ。そして、カーリーという犬種の将来を考えれば考えるほど、新しいクラブを作って、ルールを一新させて、よりワーキング面に力を入れたブリーディングをする人が集まればどんなにいいか、とも思っていた。




先日、年に一度開催される犬種クラブのミーティングが行われた。ミーティングでは、ショージャッジを招いて、ドッグショーを開催したり、フィールドトライアルの練習試合などを行う。国中のカーリーの飼い主、そしてブリーダーが集う。そして楽しいイベントの後は、もちろんお酒もどんどん進み、バーベキューの夕べとなる。


さて、今年のこの席にて面白い会話が繰り広げられた。クラブのメンバーであるHさんとKさんは、対立している同士。この二人が、お酒の力を借りたのか借りなかったのか、なんと腹を割って、お互いの意見を正々堂々面と向かいながら、語り合い始めたからだ。


時々、主張があわずに、互いが自分を正当化させようと、議論は白熱した。周りで聞いている人も、お互いの属する派閥を擁護して意見を交わし始めた。テーブル全体でますます討論が活発になっていったのだが、面白いことに、われわれ一堂の集まりにネガティブなエネルギーはまったく感じられなかった。話は時に笑いも伴いながら、どんどん進んでいったのだ。私たちが陰でヒソヒソとやっている時なんかよりも、実際の対立は、もっと明るいものに変わっていった。


そしてHさんは意見を延々と述べた後、「ねぇ、Kさん、私、今まで、ずっと思い続けていたこと、とうとうあなたにこうして面と向かって話し合えてすごくよかったと思う。もう1年以上も前からわだかまりになっていた」 Kさんも、Hさんに対して今までのこわばっていた面持ちを一気に崩して、「そうよね、そうよね!」と彼女も実はとてもホッとしたようだった。苛立たしさや腹立たしさを持ちながら、同じ犬種クラブにいる、というのはやっぱり辛いのかもしれない。




ここで、はっと思ったのは、クラブの結託力というか、その底力である。どんなに対立していても、スウェーデン人というのは、犬種クラブを分裂させないのだ。こうして、なんとか和解しようとする。普段は、非常にシャイな人々だから、面と向かって意見をする、ということはない(この面ではよく日本人に似ている)。その点、アメリカ人なんか、もっとはっきりとしたものだ。


しかし、酒の席でもいいから、そこで、さらに犬種にまつわる大きな問題を取り上げ、なんとか犬種をより良いものにしよう、健全なものにしよう、と話し出す。ネガティブなエネルギーが感じられなかったのは、たとえ派閥の違いがあっても、犬種を良くしたい、という究極の「共通」の目的があったからなのだろう。HさんとKさんのように、もしお互いが「異なる主張」を堂々とさらけ出さなかったら、エネルギーはネガティブ状態で止まっていたかもしれない。互いに意見を出し合う、というのは、おそらくどの犬種クラブも一度や二度は経験しているのにちがいない。さもなければ、スウェーデンにおけるすべての犬種クラブがこのように統一した形で存在していなかっただろう。




犬を管理する上で「統一」は大事な要素だと思う。クラブが結託しなければ、犬種全体のポピュレーションを管理できないのだ。あっちのクラブ、こっちのクラブとタケノコの芽のようにあちこちで新しいクラブが出現するようになれば、登録が分かれてしまう。そして、ますます遺伝子プールが狭くなり(カーリーはそれでなくとも狭いのに)、犬種を一つの人口とみなした健康管理がより難しくなる。新しいモノや商品は、あちこちでいろいろなものが現れて競争が起きるほうが、消費者にとっては誠に都合がいいものだ。


しかし、生き物を扱う場合、消費者社会と同じルールは当てはまらない。多分、この点で、日本の犬種の世界も難しさやジレンマを抱えているのではないだろうか。


犬種世界だけではなく、犬のトレーニングの世界や犬の保護活動の世界でも、対立は存在する。しかし、対立するよりも、どこかで腹を割って、一度対話する時間を設けるのも、いいのかもしれない。スウェーデンの犬種クラブのように、対立をしながらも、協調をしたほうが、当の犬のためになるのではないかと思う。結局、犬の世界にいろいろな形(ショーやトレーニング、保護活動やブリーディング)でわれわれが携わっているのは、犬が好きでその幸せを思ってのことなのだ。この部分ではいかなる「敵」とはいえ、絶対なる共通事項を携えている。というか、そういう人たちが、犬に関わっているべき、が大前提でもあるのだけど。


※本記事はブログメディア「dog actually」に2015年6月17日に初出したものを、一部修正して公開しています


【この連載について】

世界中どこでも、人がいるところには犬がいます。両者の関係も、国が違えば千差万別、十人十色! スウェーデン在住のドッグライター・藤田りか子さんが、海の向こうからワールドワイドな犬情報を提供してくれるこの連載。あなたの常識を吹き飛ばす、犬との新しい付き合い方が見つかるかも?


【藤田りか子 プロフィール】

スウェーデン在住。レトリーバー2匹と暮らす。トレーニングは趣味、競技会はパッション。著書に「最新世界の犬種大図鑑(誠文堂新光社)」。犬雑誌「TERRA CANINA」編集者、Web「犬曰く」で活躍。

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