by 藤田りか子 2018.10.17
世に言われるカリスマ・トレーナーが行っているドッグトレーニングを行っている人がいる。トレーニングの効果が発揮される場合もあるが、中にはなかなか 効果が生まれないのに、みんながいい、という理由だけでそれを続ける人々がいる。
効果が生まれていないのに、なんとなく続けてしまう人は、「見極めのタイミング」ができていない、ということをここで述べようと思う。
ある人は、「見極めのタイミング」について、別の言葉でこう言う。「ある方法でがんばって、いくらやっても効果がないのなら、続けるべきではない。その人にとって、その犬にとって、何かもっと別のいい方法があるかもしれない。その可能性を探すべきだ」。これは、何もカリスマ先生のメソッドに限らない。クリッカートレーニング(音がでる道具を使うトレーニング)においても同様だ。
「見極め...」はドッグトレーニングの中でとても大事なコンセプトだと思う。ブリーダーの世界でもこの考えは大事である。一度、世界的に有名なFCI全犬種ドッグショー審査員である、スウェーデン人のリネー・ヴィレスさんにインタビューした時に、然り、と感じた。
彼女に「あなたは、多くのチャンピオン・ショードッグをブリーディングしてきました。その秘密はなんですか?」と聞いた。「見極めがよかったんだと思います」と彼女は答えた。「平均的な」多くのブリーダーは、最高の血統を持つ犬を一大投資として自分の犬舎の血統として一旦取り込むと、その犬についつい固執してしまうという。せっかく投資したのだから元は取らねばと、たとえその犬の子孫がショーでたいした活躍を見せなくとも、いつかは、いつかは、とブリーディングに使い続けようとする。
「私だったら、結果がでなければさっさと見極めます。『自分の投資、自分の選んだ血統は間違いだったんだ』と自分の誤りを潔く認めることです。そして、次のステップを考えるべきですね。」
トレーニングも同様だ。あるトレーナーの方法にすっかり感銘を受け、そのトレーニング・メソッドに固執してしまうとする。確かに結果が出ていないのだが、とにかく「みんながいいと言うから」という評判やさまざまな信念、愛着が絡んで、どうしても抜け出ることができなくなる。そして、その方法だけに凝り固まってしまう。いずれのトレーニング方法も、ある人にとっては宗教みたいになってしまうのだろう。
たとえば、チョークチェーン(トレーニング用の鎖(チェーン)でできた首輪)を使うトレーニング方法がある。うまくやる人は本当に上手で、一度罰したらその後、何も罰する必要がないぐらい、チョークチェーンで犬をコントロールすることができる。
しかし、罰するタイミングがよくなければ、効果は出ない。人というのは、効果が出なければ効果を出そうと、だんだんやり方を強めていくもの。これは人間の自然な心理だ。だから、効果がでないと、チョークチェーンの使い方がエスカレートしていくので、犬の頚随あたりの神経を痛めてしまう危険があるのだ。
チョークチェーンは一時スウェーデンでも非常に流行ったが(70年代)、「一体どれだけの人がマスターしているのか疑問だ」とあるトレーナーは語っていた。タイミングが難しく、誰もが皆上手にマスターできるわけではない。
というわけで、チョークチェーンや細い首輪で耳の後ろの敏感な部分(ここは神経がより曝されている部分だ)をきゅっと締め付け刺激する、という方法でうまくいかない場合は、やはり、何か別の方法を考えて訓練する必要があるだろう。さっさと見極めをつけるべきだ。
そして、いずれの方法を試しても、うまくいかないのであれば…。
ちょっと乱暴な言葉になるが、どうせ何をやってもうまくいかないのなら、できるだけ犬に負担のない方法で訓練するのが、犬への倫理というものだろう。
なお、体罰訓練についての学術的報告については、以前の記事で紹介しているので、参考にされたい。
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海の向こうからいぬ語り③ 学術的に証明されつつある体罰訓練効果のよしあし
※本記事はブログメディア「dog actually」に2012年10月3日に初出したものを、一部修正して公開しています