海の向こうからいぬがたり①「子犬と遊ぶ」は大事だよ!

by 藤田りか子 2018.03.20

世界中どこでも、人がいるところには犬がいます。両者の関係も、国が違えば千差万別、十人十色! スウェーデン在住のドッグライター・藤田りか子さんが、海の向こうからワールドワイドな犬情報を提供してくれるこの連載。あなたの常識を吹き飛ばす、犬との新しい付き合い方が見つかるかも?




犬とは何歳になってもいっしょに遊びたいもの。決して、「トリーツを与えて褒めたのだから、別にもう関わりをもたなくてもいい」と考えず、社会的なつながりも、犬への素晴らしいご褒美になると考えて。のみならず、私たち飼い主にとってのご褒美にも!




もう何年も前になることだが、スウェーデンのドッグトレーナーといっしょに日本でトレーニングコースを開いた。犬が上手に水から物品を回収したので、トレーナーはその飼い主にすかさず「ほら、そこで犬と遊んで、遊んで!」と促した。トリーツの変わりに遊びを報酬に使う、というのが意図であった。しかしその飼い主は「え、遊ぶって?」とキョトンとした様子であった。


その飼い主に限らず、誰もが「犬と遊ぶ」ということにあまり馴れていないようで、スウェーデン人のトレーナーは「日本人の飼い主さんって、普段犬と遊ばないのかしら?」と私に質問してきた。私自身もすでにスウェーデン暮らしがすっかり長くなっているのでなんとも応えようがなかったのだが、でもなんとなくわかる気がした。


私たち平均的日本人は、もしかして犬とじゃれて遊ぶのがあまり得意ではないかもしれない(犬のトレーニングに長く携わっている方はもちろん例外だ)。つい数十年前まで、日本ではほとんどの犬は外でつながれて飼われていた。だから私たちは、身体的に寄り添って「体当たり」で犬と接する、ということにまだ不慣れなのかもしれない。というか、いっしょに暮らすという文化が歴史的にまだ浅いせいもあるだろう。


遊ぶ、というのは犬と社会的コネクションを結ぶ上で、とても大事な行為だ。前述のキョトンとした飼い主を見た時にふと思ったのだが、遊び方を知らないと、もはやトリーツでしか犬と接することができなくなってしまうかも…。それはまるで自動販売機にコインを入れるようなものだ。「はい、よい行いをしたから、これがトリーツ」という風に。トリーツがすべてだと思ってしまう。トリーツを与えたら、あとは知らん顔。ただひたすら、犬が次に「良い行い」をしてくれるのを待つだけ。


これではまるで社会性の絆に欠けてしまいそうだ。トリーツは確かに、細かい芸を教える時には最大の威力を発揮する(クリッカートレーニングがその代表例だ)。しかし、トリーツは決して「飼い主の言うことを聞け押しボタン」ではない。やはり別枠で、犬と社会性を培わなければ…。




おもちゃでの遊びを通して、飼い主とのネゴシエーションの仕方を学ぶことができる。ここまでは引っ張りまくってもいい。でも、時には口から放してね、と。こうして犬は自制の仕方を覚えていく。自制は、社会を作る動物にはなくてはならない能力だ。


もう2度ほどこのブログに記したが、つい最近、わが家にやってきた子犬と遊びながら、「この遊ぶという行為は私にとっても子犬にとってもなんというWin-Win(両者にとってメリットがあるという意味)状態をもたらしてくれるんだろう」、とつくづく思ったものだ。


何も特別なことをするわけではない。犬におもちゃを与えっぱなしにするという意味ではない。おもちゃを使っていっしょに遊ぶ。必ずしもボールを投げる必要はなし。床にぴーぴーなるおもちゃを手であちこちに這わせて、それを子犬に取らせる。取らせながら、時には引っ張りっこ遊びもする。犬があまり熱くならないうちに口からおもちゃを取るのだが、そのときこそトリーツを使って「放せ!」のコマンドを教える。


あるいは別のおもちゃをヒラヒラさせて、放せ、と同時に言う。ある時は、おもちゃの山をめちゃくちゃにしてもいい、というコマンドが出されるまで彼は待たなければならない(その間、私はおもちゃの山を作るのだ)。


いっしょに寝転がってじゃれることもある。その時、わが子犬はほとんどクロコダイルかピラニア状態だ。ひたすら、咬む、咬む、咬む! 咬みがあまりにも強すぎると、子犬同士が行うように「ぎゃぁ!」と高いピッチの声を出す。すると即座に放してくれる。その瞬間を狙って、褒める。


放してくれている瞬間は数秒もなく(またすぐに咬むという行為に熱中しだす)、こちらとしてはタイミングを見つけるために子犬の行動に目が釘付け! また咬まれないよう新しいおもちゃを持ってくると飛びつこうとするが、座っておとなしくするまで待つ。そして再びいっしょに遊ぶ。この間、怒ったりすることはまったくない。


子犬同士の取っ組み合いごっこの楽しさには当然およばないが、少なくとも人間との遊びを通して、犬は私たちと社会的な関係を結んでくれる。それはどういうことかというと、たとえば、犬は私とのネゴシエーションの仕方を覚えてくれる。欲しいものがあっても、野蛮に飛びついてこない。アイコンタクトから得られる自分への有利さ、というのも理解してくれる。


それから自制の仕方(咬みすぎない、飛びつきすぎない、時には待たなければならない)を覚えてくれる。自制心は、これから家庭犬として生きてゆくために、なくてはならないものだ。人間と生きる世界、あまりにもいろいろなルールがありすぎるからだ。じゃれながら、私は彼を可愛いと思うあまりにあちこち触りまくるのだが(尾から耳の中、口のなかまで)、これも将来の獣医さんトレーニングの第一歩となる。体を触られるのを恐れる犬になってはいけない。




遊びは子犬のしつけとしてメリットがあるだけではなく、私たち飼い主にとって、鋭い観察眼を養わせてもらえる素晴らしい機会でもある。どこで譲歩してくれようとしているのか、どこで熱くなってゆくのか、何を面白いと思うのか(くわえること? 追いかけること? 引っ張りっこすること?)、どれほど怖がりやすいのか、どれほど大胆なのか、常に子犬を詳しく見続けている状態だ。


同時に、子犬の性格というのもたくさん学べる。私が今の子犬から学んだのは、フェアに扱えば、彼はとてもチームワークよくいっしょに遊んでくれる犬、ということ。それも余計なトリックを使うことなく、あっけなく譲歩してくれる(もしジャック・ラッセル・テリアだったら、もう少し思慮とか技が必要だったろうな、などと思ったりする)。


しかし、ストップシグナルを出すタイミングがずれたり、こちらが少しでも焦りだすと、すぐにその弱みにつけこんでくる。なかなか強気な子犬だ。いやはや、こういう子は将来思いやられるのだが…! しかし少なくとも私には、心の準備ができあがる。将来強気な子となんとかやり合うための、さらなるトレーニングを計画することができる。




子犬同士の遊びを見ていると、いかに口を使ってパクパクと咬むのが彼らにとって大事な遊び方であるかが分かる。人間が子犬と遊ぶ時には、咬まれても気にしないことだ。しかし、遊びながら咬む強さについて子犬に教えてあげることができる。「これ以上、強く咬んだらだめだよ!」そこでストップを意味するシグナルあるいはコマンドを出す。これも子犬とのネゴシエーション・トレーニング。


もうひとつ付け加えておくが、いっしょに遊ぶ、ということは、同時にリラックス・トレーニングもできるということだ。遊んでいるからって、常に騒いでいる必要はない。ときどき、タイムアウトを作る。そして子犬といっしょに床に座って(隣同士でもいいし、両足の間に座ってもらってもいいし)、じっとしてくれるのを待つ。興奮状態からオフのスイッチに切り変えてもらう練習だ。その間、私はコーヒーを作るために立ち上がる。


もちろん、子犬にとって人間とだけの遊びでは不十分だ。犬語や犬世界のエチケットを学ぶために、犬同士での遊びは不可欠。しかし、犬同士で遊ばせていれば犬の欲求を満足させているから十分というわけではなく、子犬は人間と犬の世界に生きる以上、2つの世界での遊びを通して、いろいろなことを学ばなければならない。つまり家庭犬たるもの、犬同士の遊び、そして人間との遊び、この2つが必要だ。


毎日遊んでいると、少しづつ子犬のメンタル面での成長ぶりもうかがい知ることができる。最近では「痛い!」と「放せ!」をもうトリーツなしでこなせるようになった。いつの間にか、待ても覚えてくれている。こんな小さな発見でも、進展が見えるとちょっと涙ぐんでくる。犬といっしょに遊ぶことから得られるメリットだ。


※本記事はブログメディア「dog actually」に2013年2月21日に初出したものを、一部修正して公開しています


藤田りか子 プロフィール

スウェーデン在住。レトリーバー2匹と暮らす。トレーニングは趣味、競技会はパッション。著書に「最新世界の犬種大図鑑(誠文堂新光社)」。犬雑誌「TERRA CANINA」編集者、Web「犬曰く」で活躍。

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