海の向こうからいぬ語り⑩英国パブの犬の生態

by 藤田りか子 2019.03.12

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イギリスのパブに行くのが好きである。


ここはリンカーンというイギリス中部の街。夕方、胸を躍らせてパブに入り、イギリスらしさを味わおうと思った。私たちが入るなり、迎えてくれたのは、他でもない黒いラブラドールミックス。バーに並んだ地元のドラフト・ビールの銘柄をいざ読もうとした瞬間、赤い絨毯をすたすたと歩き足元にやってきて、まずはクンクンと手をにおった。


イギリスに来たという実感。私はヨーロッパでもスウェーデンに住んでいるのだが、パブに犬を連れ込むなんて、絶対に許されないことだ。公共の場所、それも屋内は、犬の出入りが規制されている。動物アレルギーの人を守るためなのだが、その厳しさについては日本と同じだ。




パブに犬がいると、本当に楽しくなる。犬のおかげで、知らない人とでも、犬をめぐって話は弾むし、犬が他のパブの客と接しているシーンをみるのも、それはそれでとても面白い観察機会となる。


犬の名はジャンゴ。バーテンダー・Mさんの犬であった。一年半前に保護施設から彼の元にやってきた。Mさんが推測するところによると、ジャンゴは当時一才半。以前の飼い主がひどい扱いをしたのだろう。ジャンゴはガリガリにやせ細った状態であった。Mさんは、ジャンゴを家に連れて帰ると、あたたかく彼をもてなした。食事と愛情を得て、ジャンゴはみるみるうちに、回復していった。その後、パブに「犬連れ通勤」をしてみた。ジャンゴは一気にパブの環境が好きになった。


「保護犬っていうのは、人の親切心に飢えているところがあるみたいだよ。ジャンゴは、僕のケアがすごく嬉しかったのだろう。それで、この新しい生活に自分のすべてを懸けようと思ったのかもしれない。あっという間にパブという環境にも適応した」


ジャンゴは、客が犬好きかそうではないかをすぐに判断するという。当然私はジャンゴから明るく迎えられた客の一人となった。




考えてみれば、不思議なことである。私たちは、子犬の頃から環境訓練なるものをしこんで、将来犬連れカフェに連れて行っても申し分なくお行儀のよい犬になるよう、準備万端にするものである。


なのに、ジャンゴは成犬になってパブにやってきた。そしてすぐにこんな「難しい」環境に慣れてしまったのだ。なにしろ、パブはドアが開いたままだし、人がひっきりなしに入っては出てゆく。テーブルの上には常に食べ物があり、そこでお客が食べている。おまけに、犬連れOKのパブだから、他の犬もやってくる。


「他の犬が来ても、相手犬が興味なければ、すぐにひくんだ。それ以上関わろうとはしない。どう振る舞うかは、本当に相手犬による。今まで入ってきた犬と喧嘩になりそうになったことなど一度もないよ」


いっしょにイギリスに来ているヴィベケ(犬行動のカウンセリングをしている私のデンマークの友人)は、ジャンゴを見て、こう言った。


「私が以前引き取ったコーラもそうだったの。コーラはひどく虐待されていたところを私が助けた。性格がひんまがっていて当然なのだけど、私のケアがよほど嬉しかったみたいで、余計なことをいわず、あっという間に私との生活に慣れてくれたわ」


ジャンゴは、決してパブの外にでない。数度の「しつけ」で覚えたそうだ。こうして、パブの番をしてくれている。




イギリスのビール(エール)はキンキンに冷えていることはない。ぬるいビールをちびちびやりながら、ジャンゴのパブ犬としての生態を面白く観察した。お客が入ってきても、実はすぐに挨拶にいかないのだ。ヴィベケと私の間でアイドルのように扱われながら、ジャンゴは客の様子をしばらく見ているのだ。Mさんは言った。


「たとえ、パブの奥に入っていたり、テーブルの下にいても、ジャンゴはドアから入ってくる客を一人一人ちゃんとチェックしているんだ。あまり犬が好きそうじゃない人、というのは見てわかるのか、側にいかない。でも“この人なら大丈夫”とわかると、すぐに寄っていくんだよ。何につけても賢いよ、ジャンゴは」


たとえ、犬好きではない客の側に行ったとしても、ちょっとしたジェスチャーですべてをジャンゴは理解する。


「あ、僕と関わりたくないのね、わかった」


そして奥へひっこむか、他の犬好きの客から客へ渡り歩き、楽しい時を過ごす。ときどき、パブのど真ん中で寝そべることもある。しかし何があっても、びくともしない。ちょっと頭をあげて、少し観察するだけ。変化に富んだ環境訓練を毎晩受けて、精神的にすばらしくバランスのとれた犬になっている。


ジャンゴなら、どこにでも連れていけるし、どこでも適応するだろう。何しろ人間のボディランゲージを読むのがうまい。パブに来る人はさまざまで、犬のことなど何もわからずいきなり頭をなでまくる人もいるのだ。もっともそういう人とは、適当に距離をあけるのだろう。社交技術にも長けている。


ジャンゴを見ながら、犬という動物の「生態」についてまた思い知った次第だ。適応力。すばらしく人の行動を読める能力。これぞ、はるか昔から人とともに歩んできた犬のパワーなのである。


※本記事はブログメディア「dog actually」に2014年7月16日に初出したものを、一部修正して公開しています


【この連載について】

世界中どこでも、人がいるところには犬がいます。両者の関係も、国が違えば千差万別、十人十色! スウェーデン在住のドッグライター・藤田りか子さんが、海の向こうからワールドワイドな犬情報を提供してくれるこの連載。あなたの常識を吹き飛ばす、犬との新しい付き合い方が見つかるかも?


【藤田りか子 プロフィール】

スウェーデン在住。レトリーバー2匹と暮らす。トレーニングは趣味、競技会はパッション。著書に「最新世界の犬種大図鑑(誠文堂新光社)」。犬雑誌「TERRA CANINA」編集者、Web「犬曰く」で活躍。

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