犬の不思議を科学する⑮犬の健全性とスタンダードのジレンマ(3)- スタンダードとは関連していない遺伝性疾患

by 尾形聡子 2020.01.09

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前回紹介した研究での対象犬種に発症するとされている396の遺伝性疾患のうち、およそ20%が犬種のスタンダードに記載されている身体的特徴と関係する病気でした。20%という数字をどうみるかは、病気の重症度や蔓延度によっても異なってくるでしょうが、いずれにせよ、外見に重きを置きすぎる繁殖方法は見直すべきときが来ているのだと思います。


大半を占める残りの80%はスタンダードとは無関係に発症する遺伝病です。乱暴ないい方をしてしまえば、この80%という数字を減らしていくことができれば、スタンダードとして大切にされてきた身体的な特徴をあまり変えずとも、かなり多くの遺伝病をなくしていけるとも考えられます。しかし残念なことに、犬の遺伝性とされる病気の数は年々増加してきているのが現状です。科学の進歩により、これまでに発症していた病気が実は遺伝病だったということが判明しやすくなっているのが大きな理由にあります。


今回はスタンダードとは関係のない病気についての研究結果を紹介していきたいと思いますが、その前に、そもそも遺伝病とはどのようなものなのかについて、簡単に触れておこうと思います。

遺伝性疾患の原因による分類

病気の発症原因には大きくふたつ、遺伝的な要因環境的な要因とがあります。遺伝的な要因だけが原因となり発症する病気を、狭い意味での遺伝性疾患といいます。生まれた時点で病気を発症している(先天性)場合もあれば、大人になってから発症する(後天性)場合もあり、発症時期はさまざまです。遺伝的要因と環境要因の両方が原因となって発症する病気は多因子遺伝病といい、複数の遺伝子の変異に環境要因も影響を及ぼして発症する遺伝病です。これら二つが広い意味での遺伝性疾患になります。そして、環境要因のみが影響する病気は交通事故や騒音による難聴などそれほど多くなく、基本的に物理的な要因により発症するものです。


遺伝性疾患はその原因により、①単一遺伝子病、②多因子遺伝病、③ミトコンドリア遺伝病、④染色体異常の4つのタイプにわけられます。細胞小器官であるミトコンドリアのDNA異常により発症するミトコンドリア遺伝病と、染色体の構造や数の異常により発症する染色体異常は犬では稀なので、犬での遺伝病のほとんどは単一遺伝子病もしくは多因子遺伝病になります。


単一遺伝子病は、ひとつの遺伝子変異が病気の直接の原因となり発症する病気で、メンデルの法則にしたがって遺伝することからメンデル遺伝病ともいわれます。現在わかっている犬の遺伝病の多くはこのタイプです。優性の形質か劣性の形質かなど、遺伝の仕方(遺伝形式)がわかりやすいのが特徴でもあります。


多因子遺伝病は、環境が複数の遺伝子変異に影響を及ぼして発症する病気です。複数の要因が病気の発症にかかわるため、発症のメカニズムが複雑になっています。また、それぞれの要因の影響の強さは病気によってさまざまなことからも、原因をはっきり断定しにくい病気ともいえます。原因もさることながら、どのように遺伝するのか(遺伝形式)もわかりにくくなります。広義の遺伝病においては多因子性のものがかなり多いと想定されます。

なぜ犬の遺伝病は常染色体劣性遺伝が多いのか

遺伝子情報が刻まれているDNAは、染色体という形で細胞ひとつひとつの核の中に存在しています。染色体には常染色体と性染色体があり、突然変異した遺伝子がどちらの染色体上に存在しているか、そして優性形質か劣性形質かによって遺伝形式の呼び方が決められます。


現在わかっている犬の遺伝病のおよそ7割は常染色体劣性遺伝をする病気です。常染色体優性遺伝や伴性遺伝(X連鎖型)はそれぞれ約10%となっており、人と比べると劣性遺伝病が多く優性遺伝病が少ないのが特徴です。優性遺伝する病気は、病気の原因遺伝子をひとつ持っているだけで発病するため、人の目にとまりやすく、繁殖ラインから外しやすかったことが影響していると考えられています。


遺伝する病気が先天性や若年性のものではない場合も問題になる危険性が高まります。どのような遺伝形式にもいえることですが、繁殖時に発症していない遺伝病は蔓延しやすく、発症年齢が高くなるほど遺伝病と認識されにくくもなります。


劣性遺伝する遺伝病の場合、キャリア(病気となる遺伝子をひとつ持っているが、劣性の形質のため発病しない)という状態にある個体を繁殖上どのように扱っていくかが、遺伝的多様性を増やしていくためのひとつのカギになります。キャリアだからといって即座に繁殖ラインから外してしまえば、たとえその病気を減らしていけても犬種内の遺伝的多様性を減らしていくことにもなり、別の新たな健康問題が発生してしまう危険性があるからです。病気の原因となる遺伝子が犬種内にどの程度浸透しているのか、重症度はどうなのかといったことも含めて検討していく必要があります。


前置きが長くなってしまいましたが、前回に続いて今回も1998年から2007年の10年間にイギリスのケネルクラブ(KC)に登録されたトップ50犬種、およそ30万頭あまりを対象として解析を行った研究結果を紹介したいと思います。国によって罹患率やキャリア個体の割合に差があるだろうことについては、前回の記事を参考にしていただきたいと思います。

犬種のスタンダードとは関連性のない遺伝病

対象とされたトップ50犬種において、スタンダードに記されている身体的特徴と関連性のある遺伝病は84、スタンダードと関連性のないものは312ありました。


スタンダードとは関連性のない遺伝病を発症する数が最も多かったのはジャーマン・シェパードの58、そしてゴールデン・レトリーバーが50でした。50以上だったのはこの2犬種で、次いでボクサー45、ラブラドール・レトリーバー44、イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル42、ミニチュア・シュナウザー41でした。10以下の犬種は、ボルドー・マスティフ1、フラット・コーテッド・レトリーバー5、ウィペット5、スタッフォードシャー・ブル・テリア7、ローデシアン・リッジバック9でした。


50犬種において最も多く発症していた病気は甲状腺機能低下症の43犬種、次いで成犬発症型遺伝性白内障の38犬種、進行性網膜萎縮(PRA)の35犬種となっていました。これらの病気の症状は軽度なものから重篤なものまで幅が広いこともわかりました。


スタンダードとは関連性のない病気において、重症度のスコアが高い犬種のトップはジャーマン・シェパード、次いでパグ、ブル・マスティフ、ローデシアン・リッジバックでした。逆に低いのはダルメシアンやウィペットで、ジャーマン・シェパードと比べると最大スコアは10分の1以下となっていました。


発症の多いトップ20疾患の中での重症度のスコアを見てみると、網膜剥離/異形成(25犬種)、門脈体循環シャント(12犬種)、アジソン病(副腎皮質機能低下症、11犬種)において高い数値となっており、発症すれば病気がひどくなる傾向にあることがわかりました。また、病気の重症度だけを見てみると、きわめて重篤な病気は発症する犬種が少なく、犬種特異的な病気である傾向も示されています。ボルドー・マスティフやフラット・コーテッド・レトリーバーのように病気の発症数が少ないからといって必ずしも重症度のスコアが低いわけではないともいえます。


また、スタンダードとは関連性のない遺伝病の多さと、KCへの登録頭数の増加とには関連性が見られなかったことから、登録数が近年急増した犬種よりも、常に人気の高い犬種のほうが、スタンダードとは関連性のない遺伝病を多く発症しやすいことが示されています。長年にわたって人気を誇る人気のジャーマン・シェパードやゴールデン・レトリーバーなどの犬種は、長い時間をかけてさまざまな遺伝病の原因遺伝子を少しずつ蓄積してきたからであるともいえると思います。




今回および前回と紹介したデータはあくまでもKCに登録された犬を解析したものであり、どの国も同じ状況にあるわけではありません。人気犬種も違えば登録数も違います。国により犬種に発症する病気の浸透度も異なっているでしょう。しかし、国ごとの、そして犬種ごとのこのようなデータを解析していくことはとても大切で、それぞれの犬種の健康を守っていくための貴重な情報となります。


たとえば、発症しても軽度でほとんど日常生活に影響を及ぼさない病気と、発症すれば必ず慢性化し、常に痛みやかゆみなどの苦痛を伴うような病気の両方を発症する犬種がいるとします。加えて、犬種の全頭数が少なく、遺伝的多様性の維持を考えると片方ずつしか対応していけない状況にあるとします。そしていずれの病気も原因遺伝子が明らかで遺伝子検査が受けられます。このような場合、犬の生活の質(QOL)を考慮するならば、まずは重篤となる病気から減らしていこうとするのが犬の福祉をまもる考え方といえるでしょう。


何度でも繰り返しお伝えしたいことですが、犬たちが遺伝病から解放され健康を取り戻していくためには、健康な遺伝子の多様性を増やし、遺伝子プールを広げていくことが大切な課題になってくるのです。


【参考文献】

・Inherited defects in pedigree dogs. Part 2: Disorders that are not related to breed standards. Vet J. 2010 Jan;183(1):39-45.

※本記事はブログメディア「dog actually」に2016年2月23日に初出したものを、一部修正して公開しています。


【この連載について】

いつも私たちの身近にいてくれる犬たち。でも、身体のしくみや習性、心のことなどなど、意外と知らないことは多くあるものです。この連載から、“科学の目”を通して犬世界を一段深く見るための、さまざまな視点に気づくことができるでしょう。


【尾形聡子 プロフィール】

ドッグライター。生まれ育った東京の下町でスパニッシュ・ウォーター・ドッグのタロウとハナと暮らしている。ブログ『犬曰く』雑誌『テラカニーナ』にて執筆中。著書に『よくわかる犬の遺伝学』。

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