犬の不思議を科学する⑭犬の健全性とスタンダードのジレンマ(2) – スタンダードに関連する遺伝性疾患

by 尾形聡子 2019.12.10

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前回は、2回のボトルネックを通じて犬がいかに遺伝的多様性を喪失してきたかということについてお伝えしました。進化に伴う選択的スウィープ(生存に有利となるようなDNAの突然変異が集団内に急速に広まり固定されること)の副産物として、さらに人為選択とインブリーディング(近親交配)による選択圧が犬にかけられてきたことで、本来ならば自然に淘汰されていただろう有害なDNAが蓄積されてきました。


犬の心身の健康に不利益となるDNAは現在、皆さんもご存知のように遺伝病という形であらわれています。犬種の誕生に伴って起きた2回目のボトルネック以降、犬たちは数多くの遺伝病を発症するようになりました。遺伝病には、多くの犬種に発症するものもあれば、犬種に特有なものもありますし、数多くの遺伝病発症が確認されている犬種もいれば、ほとんど遺伝病を発症しない犬種もいるなど、実にさまざまです。同じ犬種でも、国によって発症率が異なることも往々にしてあります。繁殖に使われる個体数や繁殖の仕方によっても、また、これから説明する「創始者効果」が加わるかどうかによっても、病気の広がり方が変わってくるからです。

「創始者効果」の影響

「創始者効果」とは、前回説明した遺伝的ボトルネックなどと同じ集団遺伝学の概念です。属していた集団から少数の個体が分離して、別の場所で新しい集団が作られるときに遺伝子の多様性が減少し、もともとの集団とは遺伝的に異なる集団ができることをいいます。さらに、「創始者」となる個体の中に、病気の原因となる遺伝子変異を持つものがいれば、その病気の原因遺伝子はあっという間に新しい集団内に広がる可能性が高まります。


たとえば日本には存在していないAという犬種がいるとしましょう。そしてAの原産国には10万頭がいて、劣性遺伝病Bの原因遺伝子を持つキャリア(保因者)の割合が1%に満たない状況だとします。その中から日本に連れてこられた10頭のうちの2頭(20%)が偶然キャリアだった場合、その10頭を創始者として犬種Aの新たな集団が作られていくことになったら、日本でのAのキャリア率も、その劣性遺伝病を発症する割合も原産国と比較して相当高くなることが予想されます。割合からいえば10万頭中の10頭にキャリアが含まれている可能性はとても低いのですが、しっかりと繁殖管理や健康管理を行っていないブリーダーのもとから繁殖をするための犬を迎えれば、このようなことが起こる可能性はけっしてゼロとはいえません。


また逆に、連れてきた犬10頭がすべてB遺伝病においてクリア(病気になる原因遺伝子をまったく持っていない犬)だった場合、日本で10頭を創始者とする犬種Aの新しい集団が作られてもその病気を発症することはなく、発症割合は原産国よりも低くなることが考えられます。これらは極端な例ではありますが、このようなことが起これば同じ犬種でも病気の発症率やキャリア率が国によって異なってくることは理解していただけるかと思います。


ということで、日本国内の状況と海外とは異なるだろうことは大前提にあるのですが、各犬種に蓄積されてきた有害なDNAは実際にどの程度なのか、またそれは犬種のスタンダードと関連性があるのかどうかといったことを知るのに参考となる研究があります。少し古いデータですが、1998年から2007年の10年間にイギリスのケネルクラブ(KC)に登録されたトップ50犬種、およそ30万頭を対象として解析を行った研究結果を紹介したいと思います。

犬種のスタンダードと関連する遺伝病

犬種にはそれぞれスタンダードといわれる基準が設けられ、体のバランスから各部位、毛色や毛質、気質、歩様など、細かく定義されています。KCへの登録トップ50犬種には396の遺伝性疾患がみられ、各犬種のスタンダードに記されている身体的特徴に直接的に関連しているものが63、身体的特徴により悪化することが報告されているものが21、スタンダードとは関連性のないものが312という内訳になっていました。スタンダードと関連する病気は合計で84あり、さらに対象となった50犬種すべてがスタンダードに関連する病気を1つ以上発症していることもわかりました。


すべての病気を対象とした場合、もっとも病気の多い犬種はジャーマン・シェパードで77、次いでボクサー63、ミニチュア・プードルとゴールデン・レトリーバー58となっていました。逆に病気が少なかったのはボルドー・マスティフの4、フラット・コーテッド・レトリーバー8、ウィペット10でした。


スタンダードと関連している遺伝病が多くみられたのが、ミニチュア・プードル17、ブルドッグ16、バセット・ハウンド16、パグ16、イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル15でした。少なかったのは、シェルティー1、シベリアン・ハスキー1、ボルドー・マスティフ1、スタッフォードシャー・ブル・テリア1でした。身体的特徴により悪化することが報告されている病気が多くみられたのは、グレート・デーン8、ジャーマン・シェパード6、ドーベルマン6、ボクサー5、アイリッシュ・セター5であり、およそ3分の1の16犬種にはこのカテゴリの病気がありませんでした(いずれもこの研究が行われた時点で明らかにされていないものは含まれていません)。


たとえばスタンダードに記載されている身体的特徴と関連する遺伝性疾患には、短頭種の「気道閉塞症候群」や「難産」、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルの「キアリ様奇形」(※)など重篤になりやすい神経系疾患、大型犬以上の犬種に広まっている股関節や肘関節の形成不全、小型犬では「歯突起形成不全」や「パテラ」などがあります。多くの犬種にみられる角膜炎や外耳炎などの病気もあります。


皮膚に関連する病気も数多く、皮膚のしわやたるみが原因となって発症する皮膚炎や膿皮症は、症状こそ重くならなくとも再発を繰り返したり慢性化することで QOL(生活の質)に影響を及ぼす可能性のあるものです。ブルドッグやパグなどの短頭種では、頭蓋骨の形状が皮膚のしわ形成とも関連しています。


※キアリ様奇形…「後頭骨形成不全症」ともいい、先天的に後頭骨の形成がうまくいっていないために発症する。後頭骨が小脳を圧迫するため、神経症状が出る。


犬種固有のしわ形成のメカニズムを持つシャー・ペイはとりわけ多くの皮膚病を発症することが知られていますが、「ムチン沈着症」というめずらしい病気を発症することでも知られています。シャー・ペイ独特のしわにはムチンと呼ばれる物質が含まれていて、しわが増える=皮膚でのムチン含有量増加という等式が成り立っています。そのため、特徴的なしわが増えれば増えるほど大量のムチンが皮膚に蓄積されていき(逆もまた然り)、ムチン沈着症を発症してしまうのです。また、これらのしわ犬種には「眼瞼外反/眼瞼内反」という、まぶたが外側や内側にそりかえる眼の病気も多いことが知られています。


被毛の色やパターンも病気と関連しています。色素細胞の働きが変化すると、被毛や皮膚へのメラニン色素の沈着が減ったり、メラニン色素の色が変わったりします。皮膚に存在する色素細胞が産生するメラニン色素は生物の体を紫外線から守るほかに、色素細胞は虹彩や内耳にも存在するため、目の発達異常や聴覚に異常が見られる場合があります。すべての毛色に問題があるわけではなく、青い目をしていても聴覚に問題がある場合が必ずしも多いわけではありませんが、マールやダップル、ボクサーやブルテリアなどでみられる白がかなり優勢なエクストリーム・ホワイト、グレート・デーンのハルクイン、ダルメシアンのスポットなどが視覚や聴覚異常と関係しています。またダルメシアンのスポットのパターンは、尿酸を代謝する酵素の異常と関連性があるともいわれています。


そのほかにも、ブルーの被毛のドーベルマンが多く発症する皮膚病の「ブルードッグ・シンドローム」、グレーの薄い毛色のコリーに発症する血液の病気「グレーコリー・シンドローム」、最近では、スタンダード・プードルに発症しやすい「扁平上皮がん」がブラックの毛色と関連性があったことも報告されています。


また、病気の分類から見ると、体が大きく体重の重い犬種ほど循環器系、消化器系、筋骨格系の病気が多く、小さく軽い犬種になるほど呼吸器系、泌尿器系、内分泌系の病気が多いことがわかりました。




スタンダードという基準に関連する遺伝病と限定する場合、イギリスはKC、日本のJKCはFCIと所属する犬種団体が違いこそすれ、犬種の身体的特徴がそれほど変わらないのであれば、今回のこのイギリスの結果は日本の現状とそれほど大きくかけ離れてはいないのではないかと考えられます。


犬が経験した2回目のボトルネックでは、機能や健康よりも身体的な特徴を優先してきたために遺伝子の多様性が失われ、健康面での問題がより発症しやすくなったといえるでしょう。皮肉にも、望ましいとされるはずのスタンダードに定められた身体的特徴をより良くしようとするのに伴い、病気が生み出されてしまったという見方をすることもできます。


インブリーディングの影響は近年の数世代だけみればそれほどでもないとの研究結果もありますが、スタンダードに関係あろうとなかろうと避けるべきことのひとつは特定のオス犬の繁殖への乱用です。一頭のオス(またはメスの場合もたまにあります)が持っていた病気の原因となる遺伝子変異が、スタンダード的にはよいとされる形質とともに知らず知らずのうちにあっという間に犬種内に広がってしまうことがあり、そこに創始者効果が加わると、ややもすればいとも簡単に遺伝性疾患が蔓延してしまう可能性も考えられるからです。次回はスタンダードの身体的特徴とは関係なく発症する犬の遺伝性疾患についての研究結果を紹介したいと思います。


※本記事はブログメディア「dog actually」に2016年2月9日に初出したものを、一部修正して公開しています。


【この連載について】

いつも私たちの身近にいてくれる犬たち。でも、身体のしくみや習性、心のことなどなど、意外と知らないことは多くあるものです。この連載から、“科学の目”を通して犬世界を一段深く見るための、さまざまな視点に気づくことができるでしょう。


【尾形聡子 プロフィール】

ドッグライター。生まれ育った東京の下町でスパニッシュ・ウォーター・ドッグのタロウとハナと暮らしている。ブログ『犬曰く』雑誌『テラカニーナ』にて執筆中。著書に『よくわかる犬の遺伝学』。

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