by 尾形聡子 2020.05.12
遺伝性の犬の眼疾患において、その発症原因となる遺伝子変異がこれまでに30ほど報告されています。水晶体脱臼、コリー眼異常、遺伝性白内障などの原因遺伝子がわかってきていますが、同定された遺伝子の大半をしめているのが網膜に関する病気です。
目の後ろ側(眼底)に存在する膜のひとつである網膜の病気は、PRA(進行性網膜萎縮)という名前で広く知られるようになりました。PRAは進行性網膜萎縮の病気の総称で、網膜にあるものを見るために重要な視細胞が主に影響を受け萎縮していく病気です。視細胞とは、杆体(かんたい)細胞、錐体(すいたい)細胞のことを言います。両眼性で、夜盲症から始まることが多く、数ヶ月から数年かけて進行していき失明に至ります。PRAは犬種によって原因となる遺伝子変異も違えば遺伝形式も異なり、発症時期や進行スピード、病理的特徴もそれぞれで、さまざまなタイプが存在しています。
PRCD(進行性杆体-錐体変性)とは?
PRAは早発性のものと遅発性のものに分けられます。早発性は一般的に生後数週間で発症することが多く、視細胞の発達異常が見られるものです。アイリッシュ・セター、コリー、ウェルシュ・コーギー・カーディガンなど犬種ごとにいくつかの原因遺伝子が明らかにされています。
一方、遅発性のものは、視細胞が萎縮し始める前に完全に正常な網膜が形成されます。臨床症状が出てくるのは1歳以上になってからで、だいたい2~5歳くらいの間に症状に気づくことが多いと言われています。この遅発性のPRAのうちのひとつ、PRCD(progressive rod-cone degeneration:進行性杆体-錐体変性)がもっとも多くの犬種に発症するタイプで、劣性遺伝をします。また、人の網膜色素変性症と似通っている部分があることがわかっています。
PRCDの原因となる遺伝子変異が同定されたのは、いまから10年前の2006年のことです。9番染色体上にあるPCRD遺伝子の点変異(一塩基置換)が原因であることが明らかになりました。その当時は18犬種で確認されていたものが、今では30犬種ほどにまで増えています(2016年時点)。発症犬種にはラブラドール・レトリーバー、ゴールデン・レトリーバー、プードル(トイ、ミニチュア、スタンダード)、アメリカン・コッカーなどがいます。
>2006年
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3989879/
トイ・プードルの6頭に1頭がキャリア
2016年、鹿児島大学のチームがトイ・プードル、チワワ、ミニチュア・ダックスフンドの3犬種を対象に日本でのPCRDの変異遺伝子の広がりを調査し、その結果を発表しました。
解析対象となったのはトイ・プードル200頭、チワワ57頭、ミニチュア・ダックスフンド100頭です。目の病気を発症していない個体で、日本の動物病院からランダムに集められた血液が解析に使われました。その結果、キャリアの個体数と割合は以下のようになっていました。
- トイ・プードル 33頭、16.5%(1頭はホモ接合、発症リスクあり)
- チワワ 2頭、3.7%
- ミニチュア・ダックス 0頭、0%
この結果を受けて研究者らは、トイ・プードルの16.5%というキャリアの割合は高く、繁殖を行う上で原因となる遺伝子を排除していくようコントロールしていく必要があるとしています。また、チワワでは57頭中1頭だけではあったものの、PRCD遺伝子の変異型が見つかったのはチワワでは初めてのことです。割合としてはトイ・プードルよりもかなり低いのですが、繁殖の際に注意すべき病気のひとつと考えていくべきである、とも言っています。
いずれにしてもキャリアの場合は病気を発症しないため、臨床症状は見られません。そのため、遺伝子の状態を確認するためにはDNA検査を受けるしか方法がないのが現状です。ただし、言い換えれば、DNA検査をしさえすればキャリアかどうかは簡単に判別することができるということになります。DNA検査を繁殖現場に取り入れれば、それぞれの犬種の遺伝子プールを保持しつつ、発症リスクのあるホモ接合の個体を作らないようにし、病気となる変異した遺伝子を排除していくことができるのです。
また、ミニチュア・ダックスでは1頭もPRCD遺伝子の変異型を持つ個体はいませんでしたが、ダックスはダックスに発症する別の網膜の遺伝病、錐体-杆体変性(Cone-rod degenerations)が存在しています。CORD1とかCRD4などとも呼ばれるこの病気はPRAと同じように視細胞が影響を受けて網膜が変性していく、常染色体劣性遺伝する病気です。まずは主に錐体細胞が、あとから杆体細胞が変性していくのですが、PRAではむしろ先に杆体細胞に変性が見られます。そのため疾患名の語順が逆になっています。ダックスのこの網膜変性は、当初、早発性のPRAと考えられていました。しかし原因となる遺伝子が、15番染色体上のRPGRIP1であることが明らかにされ、今ではPRAとは別のカテゴリの病気と考えられています。
トイ・プードル、チワワ、ミニチュア・ダックスフンドの3犬種は、2003年から2019年の間ずっとJKCへの登録頭数トップ3を占めている犬種で、全登録数のおよそ半数にものぼっています。たとえばトイ・プードルの2015年の登録頭数は76,992頭ですが、今回の研究結果の割合から計算すると、約12,000頭もの犬がキャリアの可能性があると考えられます。
PRCDは劣性遺伝病のため、キャリアならば発症することはありませんが、PRCDをはじめPRAの治療法はまだ確立されていません。痛みはなく、命を落とすようなこともない病気ですが、進行すれば完全に視力を失います。DNA検査を利用した繁殖を行うことの重要性について、早急に世の中に認識されていく必要があると感じています。
【参考文献】
・Real-time PCR genotyping assay for canine progressive rod-cone degeneration and mutant allele frequency in Toy Poodles, Chihuahuas and Miniature Dachshunds in Japan. J Vet Med Sci. 2016 Mar; 78(3):481-484.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4829521/
・The genetics of eye disorders in the dog. Canine Genet Epidemiol. 2014 Apr 16;1:3.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/pmid/26401320/
※本記事はブログメディア「dog actually」に2016年10月18日に初出したものを、一部修正して公開しています