【上野動物園の双子パンダ名前決定記念!】いつからパンダは日本にいるの?パンダの来日の歴史を振り返る!

by 編集部・平松 2021.10.27

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10月8日、上野動物園の双子のパンダの名前が決定しました!

2021年6月23日、リーリー(雄・16歳)とシンシン(雌・16歳)の間に誕生して、日本全国をハッピーにしてくれたパンダの双子。とうとう名前が決定しました!


およそ19万件におよぶ応募作品の中から、選ばれたのは…


雄:シャオシャオ(暁暁)

※「夜明けの光が差し、明るくなる」という意味


雌:レイレイ(蕾蕾)

※「つぼみから美しい花が咲き、未来へつながっていく」という意味


ぴったりのかわいい名前ですね。


2頭とも元気に成長していて、シャオシャオが体重7,300グラム・体長64.0センチ、レイレイは体重7,550グラム・体長64.5センチ(体重は10月25日時点、体調は10月21日時点)です。上野動物園では、2022年1月にお母さんパンダのシンシンとともに、公開する予定です。ヒトの声などに慣れさせるために、日中にラジオを流す訓練をしているそうです。早く会いたいですね!

日本のパンダ史

だらりとくつろいでいるパンダ

今でこそ日本にパンダがいるのは当たり前のようになっていますが、いったいいつから日本にいるのか、ご存じでしょうか。パンダ来日の歴史を、お迎えした動物園ごとに振り返ってみましょう。

上野動物園

■第一次パンダフィーバーを巻き起こしたカンカン、ランラン

パンダが初めて来日したのは、1972年10月28日。上野動物園にやってきたカンカン(雄)とランラン(雌)です。「日中国交正常化」を記念して、中国から日本への贈りものとして来日しました。この2頭の来日で、日本全国にパンダ旋風が巻き起こりました。当時はパンダという動物が、まだそれほどポピュラーではなかったのですが、ニュースなどで紹介された愛らしい容姿に、人々はあっという間に魅了されました。カンカン、ランランが初公開される日には、上野動物園の開園を待つ人の列が2キロにも達するほどでした。


1979年、ランランはカンカンとの自然交配で妊娠をしましたが、残念ながら妊娠中毒から併発した腎不全のため、同年9月に天国へ逝ってしまいました。さらに悲しいことが続いてしまい、翌1980年6月、カンカンも後を追うように逝ってしまったのです。


■第二次パンダフィーバーはトントンの誕生

ランラン亡き後、カンカンの新しいお嫁さんとして迎えられたのが1980年1月に来日したホァンホァン(雌)でした。前述のとおり、6月にカンカンが亡くなってしまいましたが、1982年11月にフェイフェイ(雄)が来日。この2頭は、カンカン、ランランとは異なり、「日中飼育繁殖研究」という名目で、中国から借り入れられました。ワシントン条約でパンダの国際取引が禁止されたためです。


この2頭の間には、人工授精によって3頭の子どもが誕生しています。1985年にチュチュ(雄)、1986年にトントン(雌)、1988年にユウユウ(雄)の3頭です。チュチュは残念ながら、生まれて3日後に亡くなってしまいましたが、トントンとユウユウは元気に成長しました。


トントンは、木登りが大好きなおてんば娘で第二次パンダブームの火付け役とも言われるほどの人気者に。一方、おっとりした性格のユウユウは、日中親善のために、1992年11月に北京動物園へ行きました。


ユウユウと交代する形で、トントンのお相手として同年に北京動物園から来日したのが、リンリン(雄)です。残念ながら、トントンとの間では子宝には恵まれませんでした。その後、トントンは2000年7月に天国へと旅立ちました。


そして2003年12月、リンリンとのカップリングを目的にメキシコのチャプルペック動物園からやってきたのが、シュアンシュアン(雌)です。上野動物園に到着してすぐに、長旅の疲れなどどこ吹く風、リンゴをバクバク食べていたとか。「陽気で豪快なセニョリータ」と呼ばれていたというのもうなずけます。シュアンシュアンもリンリンとの繁殖は成功せず、2005年9月に帰国してしまいました。しばらくシングルで過ごしたリンリンは、2008年4月に天国へ逝きました。


■パンダ不在の上野動物園に再びパンダが

リンリンがいなくなり、上野動物園はパンダ不在の状態が続いていましたが、2011年、リーリー(雄)とシンシン(雌)が中国から貸与される形で来日しました。この2頭の間に2017年6月、シャンシャンが誕生。シャンシャンは上野動物園で初めて自然交配で誕生した赤ちゃんです。そして、今年6月23日、冒頭でも触れましたが、めでたく双子が誕生したのです。


上野動物園では双子のパンダを育てるのは初めてとのことですが、2頭とも元気に成長しています。通常、パンダの母親は双子を育てることがないため、飼育員さんたちが赤ちゃんパンダをそっと入れ替える方法で2頭を育てています。飼育員さんたちのたっぷりの愛情と、懸命な努力が赤ちゃんパンダの成長につながっているんですね。

アドベンチャーワールド

パンダ界のビッグダディ、エイメイ(雄)がいるアドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)に、初めてパンダがやってきたのは、1988年のこと。短期来日をしていたシンシン(雌)とケイケイ(雌)です。シンシンとケイケイは、日本の動物園を3ヶ月ぐらいのスパンで回っていましたが、途中で体調を崩してしまいました。ところが、アドベンチャーワールドに来た2頭は、滞在している間に元気を取り戻し、中国へ帰国後は見事に繁殖に成功したといいます。それが中国側から評価され、パンダの貸与につながり、1994年9月、エイメイ(雄)とヨウヒン(雌)がやってきたのです。この2頭は世界で初めてのブリーディングローン制度での来園でした。


残念ながら、ヨウヒンは来園3年後に急逝してしまい、エイメイとの間には子どもをもうけることがありませんでした。その後、2000年にメイメイ(雌)が来園。2008年10月に亡くなりましたが、エイメイとの間には6頭の子どもを出産しました。


エイメイは来園してから27年間で、17頭の子どもをもうけています。エイメイの繁殖についての詳細は、こちらの記事をご覧ください。


上野動物園のシャンシャンはなぜ中国へ帰るの?希少動物パンダの繁殖の秘密

福岡市動物園

福岡県福岡市にある「福岡市動物園」にも、かつてパンダが来園していました。福岡市動物園は、昭和天皇御即位記念事業施設として設立された「御大典記念・福岡市動植物園」を前身として、1953年に現在の場所に動物園として開園した施設です。


福岡市動物園には、1980年3月に、シャンシャン(雄)とパオリン(雌)が来園しました。中国広州市と福岡市の友好都市締結1周年を記念して、中国広州動物園から、友好親善使節としてやってきたのです。一般公開されたのは4月1日から5月31日までの2ヶ月間で、6月2日に帰国。2頭が一般公開されている期間には、87万人を超える人たちが来園したといいます。2013年時点での年間入園者数は約81万人なので、わずか2ヶ月でその数を上回ったことになります。シャンシャン、パオリンは、友好親善使節としての役割を、立派に果たして帰国しました。

神戸市立王子動物園

王子動物園(兵庫県神戸市)には、2000年7月に初代・コウコウ(雄)とタンタン(雌)が来園しています。日中共同飼育繁殖研究が目的ではありますが、阪神・淡路大震災の復興のシンボルとしての役割も担っていました。初代・コウコウは子どもをもうけることなく、2002年12月に返還。中国へ帰国後、雌であることが判明し、出産をしています。

初代・コウコウと入れ替わる形で来園したのが、2代目・コウコウ(雄)です。2008年、タンタンと2代目・コウコウとの間には子どもが生まれましたが、悲しいことに生後4日目に亡くなってしまいました。その後、2代目・コウコウが2010年9月に亡くなり、現在、神戸市立王子動物園のパンダはタンタン1頭です。


<来日したパンダ年表>

来日パンダ年表

色の文字は雌


上野動物園、神戸市立王子動物園のパンダは中国へ返還予定

ここまで来日したパンダたちを見てきましたが、さまざまな歴史があることを改めて感じていただけたのではないでしょうか。現在、日本にいるパンダで、「日中飼育繁殖研究」という名目で、中国から借り入れられているパンダは、いずれ中国に返還しなければなりません。


今現在、返還が予定されているのが、上野動物園のリーリー、シンシン、シャンシャン、神戸市立王子動物園のタンタンです。いずれも新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、当初の返還期限が延期となり、リーリー、シンシンは2026年2月、シャンシャンは2021年12月末に返還予定となっています。タンタンは2020年7月に返還期限を迎えていましたが、未だ返還日が決まっていません。

日本にいるうちに会いに行きたい…

笹を食べるパンダ

約束されたこととはいえ、返還されてしまうのはさみしいものです。もう二度と会えなくなるかもしれないのです。新型コロナウイルス禍で、動物園に行くことも難しくなっていますが、返還される前に、ぜひ会いに行きたいものですね。


※記事の内容と掲載画像は無関係です。

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